さなだQ&A

真田氏や松代のことをべんきょうするコーナーだよ。
キミはいくつこたえられるかな?
じっさいに真田宝物館や松代へ来て、こたえをみつけるのも楽しいよ。

江戸時代、将軍(しょうぐん)からお殿様にあたえられた領地(りょうち)と、その領地を支配する仕組みを「藩(はん)」といったよ。
真田家のお殿さまは松代藩をおさめていました。
では、松代藩があった今の長野県は、昔は何とよばれていたんだろう?

真田宝物館に伝わる真田信之や
さまざまな 武将(武将)の書状(しょじょう・お手紙のこと)には
自分の名前といっしょに自分のマークが記されているよ。
このマークを何と言うのかな?

家のしるしとして、道具や着るものにつけたマークが「家紋(かもん)」だよ。真田家には、いくつかの家紋がありました。そのなかでも、一番よく知られているのが、まんなかに四角い穴(あな)があいた円形のお金を3枚ずつ2段に並べた形です。これはなんと呼ばれているのかな?

松代の町には江戸時代の武家(ぶけ)やしきがいくつもあり、修理(しゅうり)されて、むかしのすがたを今につたえています。りっぱな門を持つやしきもたくさんあります。とびらの両がわに、けらいなどが住む部屋がついていた門をなんと呼ぶでしょう?

松代藩の武家やしきでは、庭に池や水路(すいろ)をめぐらして、生活に使った水をきれいにしてから、となりのやしきに流すしくみをととのえていました。多くの武家やしきの庭にも見ることができるこの水路の名前はなんだろう?

戦国時代、真田家はもともと有力な戦国武将(せんごくぶしょう)の家臣(かしん)だったんだよ。 甲州(今の山梨県)をりょうちにしていたその戦国武将はだれかわかるかな?

江戸時代が終わりに近づいたころ、松代藩士の佐久間象山(さくましょうざん/長野ではぞうざん、とも)は、学者として、発明家として、はば広くかつやくし、明治維新(めいじいしん)にかかわっていく多くの人々に影響(えいきょう)をあたえました。 彼が生まれ育ったのは、松代の南西にそびえる○○という山のふもとです。この山の名前はなんだろう?

松代城跡(まつしろじょうあと)の正面には、江戸時代のままの姿の大きな門が復元(ふくげん)されています。この門をなんと呼んでいるでしょう?

江戸時代には、大名(だいみょう)がおさめる藩(はん)の大きさや経済力(けいざいりょく)は、幕府(ばくふ)によって決められ、米をはかる単位「石(こく)」で表しました。松代藩は真田10万石といわれ、信濃(今の長野県)で1番大きな藩でした。 では、松代藩には江戸時代の終わりごろ、どのくらいの人々が暮らしていたでしょうか?

こたえは?

1. 4,800人    2. 48万人    3. 48,000人

真田邸はむかしは新御殿とよばれていたよ。
九代のお殿さまがある人のためにたてたのだけれど、ある人とはだれだろう?